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太宰治の人間失格に関連する歴史上の事件

## 太宰治の人間失格に関連する歴史上の事件

関東大震災

 1923年9月1日に発生した関東大震災は、関東地方に壊滅的な被害をもたらした未曾有の大災害でした。震災の混乱と恐怖は人々の心に深い傷跡を残し、社会全体に大きな不安と絶望感をもたらしました。

 太宰治は、震災当時14歳で、青森県の実家にいたため直接被災はしていません。しかし、震災の報道は少年期の太宰に強い衝撃を与え、その後の文学作品に暗い影を落とすことになります。

世界恐慌

 1929年にアメリカで始まった世界恐慌は、世界経済を大混乱に陥れ、日本にも深刻な不況をもたらしました。失業者が街にあふれ、貧困と飢餓が広がり、社会全体が閉塞感に覆われていきました。

 太宰治は、1930年に東京帝国大学に入学しますが、当時の社会不安や将来への不安から、文学に傾倒し、左翼思想に共鳴するようになります。

二・二六事件

 1936年2月26日に発生した二・二六事件は、陸軍の青年将校らが決起したクーデター未遂事件でした。この事件は、当時の日本の政治、社会、軍部の不安定さを露呈し、軍国主義への道を決定づける大きな転換点となりました。

 太宰治は、二・二六事件の直後に自殺未遂を起こしています。事件の衝撃が、太宰の精神状態をさらに悪化させた可能性も考えられます。

日中戦争

 1937年に勃発した日中戦争は、その後15年にも及ぶ長期戦争の始まりでした。戦争の長期化は、日本社会に大きな変化をもたらし、国家総動員体制のもと、国民生活は次第に困窮していくことになります。

 太宰治は、1939年に徴兵検査を受けますが、持病の肺結核のため、兵役を免れています。しかし、戦争の影は太宰の文学作品にも色濃く反映され、戦争の不条理さや人間の罪深さなどをテーマにした作品を発表するようになります。

 これらの歴史上の事件は、太宰治の生きた時代背景と密接に関係しており、太宰文学を理解する上で欠かせない要素と言えるでしょう。人間失格に描かれた、社会や人間に対する絶望感、自己嫌悪、孤独感などは、これらの歴史的事件がもたらした不安や閉塞感と無縁ではなかったと考えられます.

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