## ロックの人間知性論の位置づけ
### 1. 17世紀イギリス経験論における位置づけ
ロックの『人間知性論』(1689年) は、ベーコンに始まるイギリス経験論の伝統を受け継ぎ、デカルトに代表される大陸合理主義に反対する立場から書かれました。人間のあらゆる知識の起源を経験に求め、理性によって先天的にもたらされる生得観念を否定しました。これは、当時の大陸哲学において支配的であったデカルト主義への批判として、イギリス経験論の基礎を築く画期的なものでした。
### 2. 政治哲学との関連
『人間知性論』は、ロックの政治哲学の著作である『統治二論』(1689年) と密接に関連しています。『統治二論』においてロックは、国家の権力は人民の同意に基づくべきであるという社会契約説を主張しました。この主張の根底には、『人間知性論』で展開された、人間は生まれながらにして理性と自由意志を持つという人間観があります。
### 3. 認識論における貢献
ロックは、人間の心は生まれた時は白紙の状態であり (タブラ・ラサ)、経験を通してのみ知識が形成されると主張しました。そして、経験を「感覚による経験」と「内省による経験」に分け、それぞれが単純観念を生み出すとしました。さらに、単純観念が結合、比較、抽象化されることで複雑観念が形成されると説明しました。これは、人間の認識過程を具体的に分析した先駆的な試みとして評価されています。
### 4. 影響と批判
『人間知性論』は、バークリー、ヒュームといった後続のイギリス経験論者に多大な影響を与え、経験論哲学の発展に大きく貢献しました。一方で、ライプニッツなど大陸合理主義の哲学者からは、生得観念を否定することが人間の理性的な能力を過小評価することに繋がると批判されました。また、経験のみから普遍的な知識を導き出すことの困難さも指摘されました。
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