## ルソーの学問芸術論の周辺
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執筆の背景
1749年、フランスのディジョンアカデミーは「学問と芸術の復興は風俗の浄化に貢献したか」というテーマの論文コンテストを開催しました。当時、ルソーは37歳で、パリで音楽家や作家として活動していました。彼はこのコンテストをきっかけに、それまで関心の薄かった哲学に関心を深めていきます。ルソーはこのコンテストに応募するために「学問芸術論」を執筆し、翌1750年に匿名で発表しました。
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学問芸術論の内容
ルソーは「学問芸術論」の中で、当時のヨーロッパ社会を風靡していた啓蒙主義の風潮に真っ向から反論しました。彼は、学問や芸術の進歩は人間を堕落させ、道徳を腐敗させると主張しました。ルソーによれば、学問や芸術は虚栄心や贅沢を助長し、人間を自然な状態から遠ざけるものでした。
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当時の社会背景
18世紀のヨーロッパでは、科学技術の進歩や理性による社会改革を推進する啓蒙主義が主流の思想となっていました。啓蒙主義者たちは、学問や芸術の進歩が人間を幸福に導くと信じていました。しかし、一方で貧富の格差の拡大や道徳の乱れなどの社会問題も深刻化していました。
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反響と影響
「学問芸術論」は、当時の社会に大きな衝撃を与え、賛否両論の激しい議論を巻き起こしました。ルソーの主張は、啓蒙主義者たちから激しい批判を浴びましたが、一方で彼の思想に共感する人々も少なくありませんでした。「学問芸術論」は、その後のロマン主義や社会主義思想にも大きな影響を与えました。
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ルソーの思想
「学問芸術論」で展開されたルソーの思想は、彼の後の著作、例えば『人間不平等起源論』や『社会契約論』へと発展していきます。ルソーは、人間は本来、自然状態においては自由で平等な存在であったが、文明の発達とともに私有財産や社会制度が生み出され、不平等や隷属が蔓延するようになったと主張しました。そして、真の自由と平等を実現するためには、社会契約に基づいた新しい社会秩序を構築する必要があると説きました。