## モームの月と六ペンスの思想的背景
1. 後期印象派とゴーギャン
「月と六ペンス」は、後期印象派の画家、ポール・ゴーギャンの生涯から着想を得ています。ゴーギャンは、株式仲買人としての成功を捨て、タヒチに移住して絵画制作に没頭したことで知られています。モーム自身もゴーギャンに強い興味を抱いており、1919年にはゴーギャンが晩年を過ごしたタヒチを訪れています。
作中の主人公ストリックランドは、ゴーギャンのように社会的な成功や物質的な豊かさを捨て、芸術の追求に人生を捧げます。ゴーギャンと同様に、ストリックランドもまた、西洋文明の虚飾を嫌悪し、より原始的な生活を求めて南太平洋の島へと渡ります。
2. ニーチェの超人思想
モームは、ニーチェの哲学、特に「超人」の概念に影響を受けていました。「超人」とは、既存の道徳や価値観にとらわれず、自らの意志と創造性を貫くことで、人間を超越した存在になるという思想です。
ストリックランドは、まさにこの「超人」的な人物として描かれています。彼は、社会通念や他人の評価を一切気に留めず、ただ自分の芸術的衝動に従って生きています。彼の行動は、しばしば周囲の人々を傷つけ、混乱に陥れますが、ストリックランド自身は一切の妥協も後悔も示しません。
3. モダニズム
「月と六ペンス」は、20世紀初頭のモダニズム文学を代表する作品の一つに数えられます。モダニズムは、19世紀後半から20世紀前半にかけてヨーロッパを中心に興った芸術運動で、伝統的な価値観や表現様式からの脱却を目指しました。
モダニズム文学の特徴としては、以下のような点が挙げられます。
* **意識の流れ**: 登場人物の心理描写において、論理的な思考よりも、感情や感覚、記憶の断片を重視する手法。
* **語り手の相対化**: 全知全能の語り手を排し、登場人物の視点を通して物語を描くことで、客観的な真実よりも、主観的な真実を重視する姿勢。
* **伝統的な形式の破壊**: 従来の小説の形式にとらわれず、自由な構成や実験的な表現を用いることで、新しい芸術表現の可能性を追求する姿勢。
「月と六ペンス」においても、語り手の主観的な視点を通して、ストリックランドの奇矯な行動や内面が描かれていきます。また、物語は時系列に沿って進むのではなく、語り手の記憶に基づいて断片的に語られるため、読者はストリックランドの謎めいた人物像を徐々に解き明かしていくことになります。
これらの思想的背景を踏まえることで、「月と六ペンス」は、単なる芸術家と社会の対立を描いた物語ではなく、人間存在の本質や、芸術の意義を問う、より深遠なテーマを持った作品として読み解くことができます。