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# モリエールのタルチュフを深く理解するための背景知識

# モリエールのタルチュフを深く理解するための背景知識

17世紀フランスの社会と宗教

17世紀のフランスは、ブルボン朝のルイ14世による絶対王政の時代であり、カトリック教会が強い影響力を持つ社会でした。ルイ14世は「太陽王」と呼ばれ、その治世はフランスの黄金時代とされています。しかし、華やかな宮廷文化の影では、貧富の差が拡大し、社会不安も高まっていました。

カトリック教会は、国家と密接に結びついており、国民生活に大きな影響を与えていました。教会は教育や福祉などの分野を担うだけでなく、道徳や倫理の規範を定める役割も果たしていました。当時のフランスでは、カトリック以外の宗教は認められておらず、異端とみなされていました。プロテスタントは弾圧され、ユグノー戦争などの宗教戦争も経験しています。

ジャンセニスムとモラリスト

17世紀フランスのカトリック教会内部では、ジャンセニスムと呼ばれる宗教運動が興隆しました。ジャンセニスムは、人間の自由意志を否定し、神の恩寵による救済を強調する厳格な教義を特徴としていました。ジャンセニストたちは、世俗的な享楽を否定し、禁欲的な生活を送ることを理想としました。

モラリストとは、17世紀フランスに現れた、人間の本性や社会の道徳について考察した作家や思想家たちのことを指します。パスカル、ラ・ロシュフコー、ラ・ブリュイエールなどが代表的なモラリストです。彼らは、人間の心の奥底にある自己愛や欺瞞を見抜き、鋭い批判精神をもって描き出しました。ジャンセニスムの影響を受けたモラリストもおり、人間の罪深さや救済の必要性を説きました。

モリエールとコメディ・フランセーズ

モリエール(1622-1673)は、17世紀フランスを代表する劇作家であり、コメディ・フランセーズの座長を務めました。本名はジャン=バティスト・ポクランといい、モリエールは芸名です。裕福な家庭に生まれ、良い教育を受けましたが、俳優の道を選び、劇団を結成して地方を巡業しました。その後、パリに進出し、ルイ14世の庇護のもと、コメディ・フランセーズを率いて数々の傑作喜劇を発表しました。

モリエールの喜劇は、人間の滑稽さや愚かさを鋭く風刺したもので、登場人物たちは皆、何らかの欠点や偏見を持っています。しかし、モリエールは単に登場人物を嘲笑するのではなく、彼らを通して人間の本質や社会の矛盾を浮き彫りにしようとしました。彼の喜劇は、当時の社会や文化を理解する上で貴重な資料となっています。

タルチュフをめぐる論争

「タルチュフ」は、偽善的な宗教家タルチュフにオルゴン一家が騙される様子を描いた作品です。1664年に初演された際には、偽善者を装ったタルチュフが宗教的な言葉を巧みに操る場面が、教会への冒涜だとみなされ、激しい批判を浴びました。特に、ジャンセニストや聖職者たちは、「タルチュフ」の上演禁止を求めて運動を起こしました。

モリエールは、「タルチュフ」は偽善を批判するものであり、真の信仰を否定するものではないと主張し、作品を擁護しました。しかし、圧力に屈することなく、何度も改訂を重ね、5年の歳月を経て、1669年にようやく正式に上演が許可されました。

「タルチュフ」は、モリエールの代表作の一つであり、今日でも世界中で上演されています。この作品は、宗教的な偽善だけでなく、人間の愚かさや欺瞞、社会の不条理などを描いた普遍的なテーマを含んでおり、時代を超えて人々の心を捉え続けています。

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読書意欲が高いうちに読むと理解度が高まります。

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