ボアンカレの科学と仮説の思想的背景
19世紀後半の科学における危機
ボアンカレの『科学と仮説』が出版された1902年は、物理学の世界観が大きく揺らぎ始めていた時代でした。ニュートン力学とマクスウェル電磁気学の成功により、19世紀末には、「物理学は完成した学問であり、あとは細かい点を解明するだけだ」という楽観的な見方が広まっていました。
しかし、そうした楽観的な見方は、19世紀末から20世紀初頭にかけて起こったいくつかの物理学上の発見によって打ち砕かれました。
* **黒体放射の問題:** 古典物理学では説明できない黒体放射スペクトルの実験結果が、プランクによって1900年に報告されました。
* **マイケルソン・モーリーの実験:** エーテルの存在を証明するために1887年に行われたこの実験は、予想に反してエーテルの存在を証明できませんでした。
* **放射性元素の発見:** ベクレルによるウランの放射線の発見(1896年)や、キュリー夫妻によるポロニウム、ラジウムの発見(1898年)は、それまで不可分と考えられていた原子が実は内部構造を持つことを示唆していました。
これらの発見は、古典物理学の限界を明らかにし、新しい物理学の必要性を強く示唆するものでした。ボアンカレは、こうした時代背景の中で、古典物理学の限界と新しい科学のあり方について深く考察しました。
カント哲学の影響
ボアンカレの思想には、18世紀ドイツの哲学者イマヌエル・カントの影響が色濃く見られます。カントは、著書『純粋理性批判』において、人間の認識能力には限界があり、物事を認識するための先天的枠組み(カテゴリ)が存在すると主張しました。
ボアンカレは、カントの考え方を科学に適用し、我々が認識する科学法則は、客観的な世界の直接的な反映ではなく、人間の認識能力によって規定されたものであると主張しました。彼は、ユークリッド幾何学を例に挙げ、それが絶対的な真理ではなく、人間の心が空間を認識するための「都合の良い枠組み」の一つに過ぎないと論じました。
従来主義と数学における功績
ボアンカレは、科学における「従来主義」の立場を表明しました。従来主義とは、科学理論は客観的な真理を反映しているのではなく、人間の都合や有用性に基づいて選択されるという考え方です。
彼は、幾何学、力学、電磁気学などの基礎的な理論を分析し、それらが複数の解釈が可能であり、どれが正しいかは実験や観察によって決定できないと主張しました。例えば、ユークリッド幾何学と非ユークリッド幾何学は、どちらも論理的に矛盾のない体系であり、どちらが現実世界の記述として適切かは、人間の都合によって選択されると考えました。
ボアンカレ自身、数学者として多大な功績を残しており、特に位相幾何学(トポロジー)の基礎を築いたことで知られています。彼は、数学における直観と論理の役割を重視し、新しい数学的概念を生み出す原動力は、論理的な推論だけでなく、数学者の直観的な洞察力にもあると主張しました。
これらの思想的背景を踏まえ、ボアンカレは『科学と仮説』において、科学の限界と可能性、そして人間の認識能力の限界について深く考察しました。