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ベーベルの婦人論の原点

## ベーベルの婦人論の原点

1. ベーベルの生い立ちと社会背景

アウグスト・ベーベルは、1840年、ドイツ連邦内の都市であったケルン近郊のデーリッツで、プロイセン軍の下士官の息子として生まれました。当時のドイツは、産業革命の真っただ中にあり、資本主義の進展に伴い、社会構造は大きく変化していました。ベーベル自身も、幼くして父親を亡くし、貧しい生活を余儀なくされました。10歳で孤児となり、叔父の元で羊飼いとして働かされながら、苦しい少年時代を送りました。

13歳になると、桶職人となるべく修行に出されました。その後遍歴職人としてドイツ各地を旅する中で、当時のドイツ社会が抱える貧困や社会の不平等を目の当たりにしました。職人として働く中で、労働者の劣悪な労働環境や社会的な不遇を経験し、次第に社会問題への関心を高めていきました。

2. 社会主義運動への傾倒とエンゲルスとの出会い

1860年代に入ると、ベーベルは労働運動に身を投じます。そして、1865年には、ライプツィヒで自作職人組合を結成するなど、積極的に活動するようになりました。

この時期に、カール・マルクスの主著『資本論』第一巻が出版され、大きな影響を受けます。そして、マルクスの盟友であるフリードリヒ・エンゲルスとも出会いを果たし、親交を深めていきます。その後、ベーベルは、エンゲルスとともに国際労働者協会(第一インターナショナル)の設立に参加し、ドイツにおける労働運動の指導者として活躍していきます。

3. 女性解放運動との出会い

ベーベルは、労働運動に携わる中で、女性たちが置かれている状況にも目を向けるようになります。当時のドイツでは、女性は参政権はおろか、財産権や職業選択の自由など、基本的な権利さえも認められていませんでした。女性たちは、低賃金で長時間労働を強いられる工場労働や、家庭内での重労働に従事させられ、男性と同等の権利を著しく制限されていました。

ベーベルは、こうした女性たちの置かれた状況を目の当たりにし、女性解放運動の必要性を痛感するようになりました。彼は、女性に対する抑圧は、資本主義社会における搾取構造と密接に関係していると認識し、真の社会主義社会を実現するためには、女性解放が不可欠であると考えるようになったのです。

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