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ベルクソンの時間と自由の批評

## ベルクソンの時間と自由の批評

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ベルクソンの時間概念に対する批判

ベルクソンの提唱する「 durée 」は、従来の空間化された時間概念を批判し、純粋な持続として捉えなおそうとする試みである。しかし、この概念はいくつかの点で批判にさらされている。

第一に、 durée が経験に基づく概念である一方、その経験の内容が明確に示されていないという批判がある。ベルクソンは、 durée を直観によってのみ把握可能なものとし、言語による表現を拒む傾向がある。しかし、どのような経験から durée を導き出せるのか、具体的な説明が不足している点は否めない。

第二に、 durée を客観的な時間とは切り離された、純粋に主観的な時間として捉えている点への批判がある。 durée は個人の内面的な意識の流れとして捉えられ、客観的な時間とは無関係に存在するとされる。しかし、このような主観的な時間概念は、客観的な世界との関係をどのように説明するのかという問題に直面する。

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自由意志に関する批判

ベルクソンは、自由意志を durée と結びつけ、自由は予測不可能な novelity として現れると主張する。彼は、決定論的な世界観では人間の真の自由は説明できないとし、 durée に基づく自由意志の概念を提示する。しかし、この自由意志の概念もまた、批判の対象となっている。

第一に、ベルクソンの自由意志の概念は、あまりにも曖昧で、具体的な説明を欠いているという指摘がある。自由が novelity として現れるとはどういうことか、具体的な行動や選択とどのように結びつくのか、明確な説明がなされていないという批判がある。

第二に、ベルクソンの自由意志の概念は、責任や道徳の問題をどのように扱うのかという問題に直面する。彼の自由意志の概念では、自由は予測不可能な偶然性に依存しているため、人間の責任や道徳的な判断をどのように説明するのかという点で、疑問が残る。

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