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プーシキンのオネーギンを深く理解するための背景知識

プーシキンのオネーギンを深く理解するための背景知識

ロシアの社会と文化

アレクサンドル・プーシキンが「エヴゲーニイ・オネーギン」を執筆した19世紀初頭のロシアは、激動の時代を迎えていました。ナポレオン戦争の勝利によってヨーロッパ列強としての地位を確立し、西欧文化の影響を強く受ける一方で、農奴制をはじめとする旧体制の矛盾も抱えていました。

貴族社会においては、フランス語が日常的に用いられ、西欧のファッションやマナーが流行していました。社交界では、華やかな舞踏会やサロンが盛んに開かれ、貴族たちは優雅で洗練された生活を送っていました。しかし、こうした華やかな生活の裏側には、農奴制による社会的不平等や、自由主義思想と専制政治との対立といった深刻な問題が潜んでいました。

プーシキン自身も貴族出身であり、社交界に出入りしていましたが、その鋭い観察眼で貴族社会の光と影を捉え、「エヴゲーニイ・オネーギン」の中でリアルに描き出しています。登場人物たちの会話や行動、服装や趣味などを通して、当時の貴族社会の風俗や価値観を垣間見ることができます。

文学におけるロマン主義

「エヴゲーニイ・オネーギン」は、ロシア文学におけるロマン主義の代表作とされています。ロマン主義は、18世紀後半から19世紀前半にかけてヨーロッパを中心に広まった文学・芸術の潮流で、理性や秩序を重視した古典主義への反動として生まれました。

ロマン主義の特徴としては、感情や想像力、個性の尊重、自然への回帰などが挙げられます。ロマン主義の作家たちは、社会の束縛や抑圧から解放され、自由で情熱的な生き方をする主人公を描き、読者の共感を呼びました。

「エヴゲーニイ・オネーギン」の主人公オネーギンも、当時の貴族社会の慣習や価値観に縛られず、自由を求めて生きるロマン主義的な人物として描かれています。彼の倦怠感や孤独、恋愛に対する葛藤は、当時の若い世代の心情を反映したものであり、多くの読者の共感を呼びました。

プーシキンの生涯と作品

アレクサンドル・プーシキンは、1799年にモスクワで生まれ、ロシアの国民的詩人として広く知られています。貴族の家系に生まれ、幼い頃から文学に親しみ、フランス語や古典文学を学びました。

1817年にリツェイを卒業後、外務省に勤めながら詩作活動を始め、自由主義的な思想を表現した作品を発表しました。そのため、政府から警戒され、南ロシアへの流刑を経験しました。その後、皇帝ニコライ1世の恩赦を受けてペテルブルクに戻りましたが、宮廷の監視下に置かれ、自由な創作活動を制限されました。

プーシキンは、詩、小説、戯曲など幅広い分野で活躍し、ロシア文学に大きな影響を与えました。「エヴゲーニイ・オネーギン」以外にも、「スペードの女王」、「大尉の娘」、「ボリス・ゴドゥノフ」など、多くの傑作を残しています。彼の作品は、ロシア語の美しさと表現力、人間の心理に対する深い洞察、社会に対する鋭い批判精神などによって高く評価されています。

「オネーギン韻律」

「エヴゲーニイ・オネーギン」は、プーシキンが独自に考案した「オネーギン韻律」と呼ばれる韻律で書かれています。これは、14行からなる連で構成され、各行は4音節の弱強格で、韻律は「アバブ・ヴグヴグ・デデ・ジェジェ」となっています。

この特殊な韻律は、物語の展開や登場人物の心情を表現するのに非常に効果的で、作品に独特のリズムと音楽性を与えています。また、「オネーギン韻律」は、後のロシア文学にも大きな影響を与え、多くの作家が模倣しました。

これらの背景知識を踏まえることで、「エヴゲーニイ・オネーギン」をより深く理解し、作品の魅力を味わうことができるでしょう。

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読書意欲が高いうちに読むと理解度が高まります。

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