フローベールのサランボーが扱う社会問題
宗教対立と狂信
サランボーでは、カルタゴ市民と傭兵軍との対立が物語の中心軸を成していますが、フローベールはこの対立を単なる政治的あるいは経済的な対立として描くのではなく、宗教的な狂信が深く影を落としていることを強調しています。カルタゴ市民は豊穣の女神タニットを狂信的に信仰し、生贄の儀式など残虐な行為も厭いません。一方、傭兵軍はそれぞれの出身地で異なる神々を信仰しており、カルタゴの宗教を異質なものとして捉えています。
作中では、両陣営の狂信的な行為が描かれ、その結果として生じる悲劇が容赦なく描写されます。例えば、カルタゴの将軍ハミルカルは、戦況を打開するために幼い息子ハンニバルをタニット神殿に連れて行き、神に捧げることを誓います。また、傭兵軍の指導者マトンは、サランボーに恋心を抱きながらも、彼女が身に付けているタニットの聖なるヴェールを手に入れるために、カルタゴへの攻撃を決意します。
フローベールは、このような宗教的な狂信が人間の理性や道徳を麻痺させ、残虐な行為を正当化してしまう恐ろしさを描いていると言えるでしょう。
社会における女性の立場
サランボーでは、古代カルタゴ社会における女性の立場についても描かれています。主人公のサランボーは、カルタゴの将軍ハミルカルの娘であり、絶世の美女として描かれています。しかし、彼女は男性社会の権力闘争に翻弄され、自らの意思で運命を切り開くことができません。
サランボーは、カルタゴの守護神であるタニットの巫女として、貞潔を守ることを義務付けられています。しかし、傭兵軍の指導者マトンに恋心を抱いた彼女は、彼にタニットの聖なるヴェールを盗ませてしまいます。この行動は、カルタゴに災いをもたらすとされ、サランボーは自らの行為の責任を取って死を選ぶことになります。
フローベールは、サランボーの姿を通して、男性中心社会における女性の抑圧された立場や、運命に翻弄される女性の姿を描いていると解釈できます。
文明と野蛮
サランボーでは、高度な文明を誇るカルタゴと、野蛮とされる傭兵軍との対比も重要なテーマとなっています。カルタゴは、裕福な商工業都市として栄え、壮麗な建築物や洗練された文化を誇っていました。一方、傭兵軍は、ガリア人、イベリア人、リビア人など、様々な民族からなる寄せ集め集団であり、カルタゴの人々からは野蛮な存在と見なされていました。
しかし、フローベールは、カルタゴの文明が内包する残酷さや偽善性も同時に描いています。例えば、カルタゴ市民は、豊穣の女神タニットに生贄を捧げる儀式を執り行っていましたが、その裏では、奴隷制度や貧富の格差といった社会問題も存在していました。
フローベールは、文明と野蛮の対比を通して、人間の本質は文明化された社会においても変わらないことを示唆していると言えるでしょう。