フォークナーの響きと怒りの対極
ヘミングウェイの「日はまた昇る」
ウィリアム・フォークナーの「響きと怒り」とアーネスト・ヘミングウェイの「日はまた昇る」は、どちらも20世紀前半のアメリカ文学を代表する傑作として知られていますが、その文体、テーマ、登場人物設定などは対照的な要素が多く見られます。
文体と構造の対比
フォークナーの「響きと怒り」は、意識の流れの手法を駆使し、時間軸を複雑に交錯させながら、コンプソン家の崩壊を描いています。特に、精神的に不安定なベンジーの視点で語られる部分は、句読点の使用が少なく、文法も破綻しているため、読解が非常に困難です。
一方、ヘミングウェイの「日はまた昇る」は、簡潔で直接的な文体を特徴としています。地の文は客観的で、登場人物の心理描写も最小限に抑えられています。物語は時系列に沿って展開され、構成も「響きと怒り」に比べてはるかにシンプルです。
テーマと登場人物の対比
「響きと怒り」は、過去への執着、喪失感、人間の堕落といった暗いテーマを扱っています。コンプソン家の面々は、過去の栄光にしがみつき、現実から目を背けながら、精神的に崩壊していく様子が描かれています。
一方、「日はまた昇る」は、第一次世界大戦後の喪失感と、それでもなお生き抜こうとする人々の姿を描いています。登場人物たちは、戦争によって心に深い傷を負っていますが、恋愛や友情、闘牛や釣りといった具体的な行為を通して、再生の道を模索しようとします。
舞台設定の対比
「響きと怒り」の舞台は、アメリカ南部のヨクナパトーファ郡という架空の閉鎖的な空間です。コンプソン家は、かつてはこの地で栄華を極めた名家でしたが、物語が進むにつれて、その没落が際立っていきます。
「日はまた昇る」は、パリとスペインを舞台にしています。パリは、第一次世界大戦後の退廃的な雰囲気を漂わせる都市として描かれ、スペインは、闘牛や自然といったプリミティブな生命力を感じさせる場所として描かれています。