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ピンカーの暴力の人類史の対極

ピンカーの暴力の人類史の対極

ルソーの「人間不平等起源論」

ジャン=ジャック・ルソーの「人間不平等起源論」(1755年)は、人間の文明化が、所有、競争、そして暴力の増大に繋がったと主張し、ピンカーの楽観的な見解とは全く異なる視点から歴史を捉えています。ルソーは、自然状態の人間は、自らの生存と幸福に必要なものしか持たず、他者と争う動機を持たなかったと論じます。しかし、私有財産の出現とともに、人間は自然な平等と自由を失い、不平等、競争、そして暴力が支配する社会へと転落していったと主張します。

ホッブズの「リヴァイアサン」

トーマス・ホッブズの「リヴァイアサン」(1651年)もまた、ピンカーの主張に対する重要な対照軸を提供します。ホッブズは、自然状態の人間は、資源の欠乏、不信、そして栄光の追求によって絶えず争っているという「万人の万人に対する闘争」状態にあると論じます。彼の視点では、国家という絶対的な権力を持つ存在が出現することによってのみ、人間は暴力と無秩序から解放され、安全と秩序を享受できるのです。ホッブズの思想は、ピンカーが重視する理性や進歩の概念とは相容れない、人間の性悪説に基づいています。

ジークムント・フロイトの「文化への不満」

ジークムント・フロイトの「文化への不満」(1930年)は、人間の心に潜む攻撃性と破壊衝動に焦点を当てています。フロイトは、人間は、自己保存の本能と、死の本能と呼ぶ自己破壊的な衝動との間で葛藤を抱えていると主張します。文化は、人間の攻撃性を抑制し、社会生活を可能にするために不可欠なものです。しかし、この抑制は、抑圧された不満や罪悪感を生み出し、それが暴力や戦争といった形で噴出することが避けられないとフロイトは論じます。

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