Skip to content Skip to footer

ピレンヌのベルギー史のテクスト

ピレンヌのベルギー史のテクスト

ピレンヌと「ベルギー史」

アンリ・ピレンヌ(1862-1935)は、ベルギーを代表する歴史家の一人であり、特に中世ヨーロッパ史の研究で世界的な名声を博しました。彼の代表作の一つである『ベルギー史』(Histoire de Belgique)は、1899年から1932年にかけて全7巻が刊行されました。本著は、古代ローマ時代から第一次世界大戦直後までのベルギーの歴史を網羅的に扱っており、ピレンヌの博識と深い歴史的洞察力が余すところなく発揮された monumental な著作として高く評価されています。

「ベルギー史」の内容と特徴

『ベルギー史』の特徴として、まず挙げられるのはその構成力です。ピレンヌは、単に年代順に歴史的事実を羅列するのではなく、経済的・社会的要因に着目し、ベルギーという国家の形成過程を long dureé の視点から描き出しました。彼は、古代ローマ帝国の崩壊後、フランク王国や神聖ローマ帝国といった広域支配体制のもとで、現在のベルギー地域がどのように経済的・文化的紐帯を形成していったのかを詳細に分析しました。

「ローマ中心史観」への批判

ピレンヌの歴史観を語る上で欠かせないのは、彼が伝統的な「ローマ中心史観」を批判し、イスラム勢力の西方進出がヨーロッパの歴史に与えた影響を重視した点です。彼は、従来軽視されてきたアラブ史料を渉猟し、8世紀にイスラム帝国が地中海を制覇したことで、西ヨーロッパと東ローマ帝国との通商が断絶し、西ヨーロッパが経済的に衰退したことを指摘しました。そして、この経済的断絶こそが、西ヨーロッパ世界に封建制や荘園制といった独自の社会システムが形成される契機となったと主張しました。

「都市」の役割

またピレンヌは、中世後期以降、フランドル地方を中心に発展した都市に注目し、それがヨーロッパ世界の経済復興と国家形成に果たした役割を高く評価しました。彼は、都市における商業活動の活性化が貨幣経済を復活させ、封建領主の権力を弱体化させると同時に、国王による中央集権化を促進したと分析しました。そして、都市と王権との協力関係こそが、後の近代国民国家の形成につながる重要な要素であったと結論づけました。

史料批判と客観性

ピレンヌは、史料批判の重要性を常に強調し、自らの主張を裏付けるために膨大な量の史料を駆使しました。彼は、一次史料を重視するだけでなく、従来の歴史研究では軽視されてきた経済史料や考古学的資料なども積極的に活用し、多角的な視点から歴史を考察しようとしました。

Amazonで詳細を見る

Leave a comment

0.0/5