## パスカルのパンセの思索
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人間は考える葦である
「人間は考える葦である」は、『パンセ』の中でも特に有名な一節です。これは、人間の弱さと偉大さの対比を鮮やかに表しています。
パスカルは、人間を自然の中で最も弱い存在である「葦」に喩えています。自然の力の前には、人間はひと吹きで倒されてしまうほど無力です。しかし、人間は「考える」ことができるという点で他のあらゆる存在とは異なっています。
「考える」ということは、自分自身の存在について考察すること、世界の広大さや永遠に思いを馳せること、そして、神の存在について考えることも意味します。パスカルは、思考することこそが人間の尊厳であり、他のあらゆる存在よりも優れている点だと考えました。
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無限の二つの無限
パスカルは、人間を「無限の二つの無限」の間に位置づけられる存在だと考えました。一つは、宇宙の広大さや永遠といった「無限に大きなもの」、もう一つは、原子や素粒子といった「無限に小さなもの」です。
人間は、これらの無限に対してはあまりにも小さく、無力な存在です。しかし、パスカルは、人間はこの二つの無限を知覚し、考察することができるという点で特別な存在だと考えました。
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賭け
パスカルは、『パンセ』の中で「神の existence に関する賭け」について論じています。彼は、神の存在を証明することは不可能だが、存在すると信じるか信じないかで、その後の人生に大きな違いが生じると主張しました。
パスカルの賭けは、損得勘定に基づいた議論です。もし神が存在するならば、信じる者は永遠の幸福を得ることができ、信じない者は永遠の不幸に苦しむことになります。一方、もし神が存在しないならば、信じる者は多少の楽しみを失うだけであり、信じない者は何も失うことはありません。
パスカルは、この賭けにおいては、神の存在を信じる方がはるかに合理的であると結論づけました。なぜなら、もし賭けに勝てば無限の幸福を得ることができ、負けても失うものはわずかだからです。
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虚無と不幸
パスカルは、人間は「虚無」と「不幸」にさいなまれる存在だと考えました。人間は、常に何かを追い求めているにもかかわらず、真の幸福を見つけることができません。
パスカルは、人間の不幸の原因は、「退屈」にあると考えました。退屈とは、単に暇を持て余している状態ではなく、自分自身の存在の意味を見出せず、虚しさを抱えている状態を指します。
パスカルは、人間はこのような虚無と不幸から逃れるために、娯楽に耽ったり、仕事に没頭したりしようとします。しかし、これらの行為は一時的な気晴らしにしかならず、根本的な解決にはなりません。
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隠された神
パスカルは、神は「隠された神」であると考えました。つまり、神は理性や論理だけで認識できる存在ではなく、信仰を通してのみ知ることができる存在であるという考え方です。
パスカルは、神は人間を試しているのだと考えました。神は、人間が理性や論理だけに頼らず、信仰によって自らを神に委ねることができるかどうかを見ているのです。
パスカルの『パンセ』は、人間存在の本質、信仰と理性の関係、幸福の追求など、今日においても重要なテーマを扱っています。彼の鋭い洞察は、現代社会を生きる私たちにとっても多くの示唆を与えてくれます。