## バルザックのゴリオ爺さんの美
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醜悪さの中にこそ光る、父性愛の美
「ゴリオ爺さん」において、バルザックは美しいものを直接的には描いていません。むしろ、舞台となるヴォケール館の陰鬱な雰囲気、登場人物たちの醜悪な欲望、そしてゴリオ爺さんの悲惨な末路など、一見醜悪としか言いようのない要素が作品の大部分を占めています。しかし、バルザックはこうした醜悪さを徹底的に描くことによって、逆説的にある種の美を浮かび上がらせています。それは、ゴリオ爺さんの娘たちへの盲目的なまでの、無償の愛、すなわち父性愛の美です。
ゴリオ爺さんは、かつて裕福な実業家でしたが、娘たちに財産をすべて分け与え、貧困に身を落としてしまいます。それでもなお、娘たちの幸福だけを願い、自らを犠牲にしてまで彼女たちを援助し続ける姿は、まさに狂気とさえ言えるでしょう。しかし、バルザックはゴリオ爺さんの愚かさを嘲笑するのではなく、むしろその純粋で献身的な愛情に、ある種の聖なる光を当てています。
彼の愛は、社会的に成功した娘たちからは疎まれ、金づるとしてしか見られていません。しかし、ゴリオ爺さんにとって、娘たちはいつまでも幼く守ってやらなければならない存在であり、彼女たちの幸せこそが彼の唯一の生きがいです。娘たちの裏切り、そして孤独な死という悲劇的な結末を迎えるゴリオ爺さんですが、その姿は、金銭や欲望にまみれたパリ社会において、一際、純粋で美しいものとして読者の心に焼き付くことになります。