バタイユの呪われた部分の関連著作
マルセル・モース『贈与論』
バタイユはモースの『贈与論』を高く評価し、自身の消費論の構築において大きな影響を受けました。モースは、贈与は単なる経済行為ではなく、社会的な紐帯を構築するための重要な要素であると主張しました。贈与は、贈与者と受贈者の間に義務と返報の循環を生み出し、それが社会的な関係性を維持する基盤となります。バタイユはモースのこの洞察を発展させ、「過剰性」と「浪費」という概念を通じて、資本主義社会における消費のメカニズムを分析しました。
ジョルジュ・ Batailleはモースの洞察を発展させ、「過剰性」と「浪費」という概念を通じて、資本主義社会における消費のメカニズムを分析しました。バタイユは、人間は常に過剰なエネルギーを持っており、そのエネルギーを生産的な活動に費やすだけでなく、非生産的な活動、すなわち「浪費」を通じて解放する必要があると考えました。彼は、宗教儀式における犠牲や祝祭、芸術における創造活動などを、過剰なエネルギーを消費するための非生産的な活動の例として挙げ、これらの活動が人間にとって不可欠なものであると主張しました。
ジークムント・フロイト『快感原則の彼岸』
バタイユはフロイトの精神分析、特に「死の欲動」の概念から大きな影響を受けました。フロイトは、人間には快楽を求める「生の欲動」だけでなく、死や破壊を求める「死の欲動」も存在すると考えました。バタイユは、この「死の欲動」を、人間の根源的な不安や、有限性に対する恐怖と結びつけました。彼は、人間は過剰なエネルギーを浪費することによって、一時的に「死」の状態を経験し、有限性から解放されようとするのだと考えました。
フリードリヒ・ニーチェ『悲劇の誕生』
バタイユはニーチェの思想、特にアポロン的なものとディオニソス的なものという対比概念から影響を受けました。ニーチェは、ギリシャ悲劇においては、理性と秩序を象徴するアポロン的なものと、本能と陶酔を象徴するディオニソス的なものがせめぎ合っており、その対立と融合によって人間の生の深淵が表現されていると考えました。バタイユは、ニーチェのこの思想を発展させ、ディオニソス的な陶酔と狂気の中に、人間の有限性を超克する可能性を見出しました。彼は、宗教儀式におけるエクスタシーや、芸術における創造活動などを、ディオニソス的なエネルギーの解放の場として捉えました。