## バタイユの呪われた部分のメカニズム
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過剰性と浪費
バタイユにおいて、「呪われた部分」とは、社会の秩序や合理性によって捉えきれない、過剰なエネルギーや衝動を指します。生物は太陽エネルギーなどから生命活動に必要な量を超えたエネルギーを受け取ります。この過剰なエネルギーは、成長、繁殖、労働などに利用されますが、それでもなお余剰が生じます。バタイユはこの余剰エネルギーを「呪われた部分」と呼び、社会はこの過剰性を制御し、浪費することで均衡を保とうとしていると論じます。
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禁と超越
社会は、タブーと理性によって「呪われた部分」を抑制し、秩序を維持しようとします。性や暴力、死といった、社会生活を脅かす可能性のある領域は、タブーによって聖別され、日常的なものとは区別されます。理性は、過剰なエネルギーを生産活動や消費活動に向けさせ、社会に役立つ形へと転換しようと試みます。しかし、「呪われた部分」は完全に制御できるものではなく、常に抑圧からの解放を求めています。バタイユは、この解放を「超越」と呼び、宗教儀式や芸術、戦争といった非生産的な活動の中にその可能性を見出します。
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エロスと死の結合
バタイユは、性衝動と死への衝動を「呪われた部分」の代表的な現れとして捉えます。性行為は、個体の境界を一時的に喪失し、他者と融合する経験であり、死は、自我の消滅と同時に、世界の混沌へと回帰することを意味します。これらの経験は、社会的な秩序や合理性から逸脱し、生の根源的な力に触れることを可能にするという点で共通しています。バタイユは、エロスと死の結合の中に、社会の枠組みを超えた、より高次の存在様式を見出そうとします。
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