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バクーニンの神と国家の対極

## バクーニンの神と国家の対極

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トマス・ホッブズの「リヴァイアサン」

ミハイル・バクーニンの「神と国家」は、国家権力と組織的宗教に対する痛烈な批判であり、両者を個人の自由と幸福に対する抑圧的な力と見なしています。バクーニンは無政府主義者として、あらゆる形態の強制力のない社会を構想し、国家と宗教の両方を完全に拒絶しました。

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「神と国家」に対するアンチテーゼ

バクーニンの思想の対極に位置するものとして、トマス・ホッブズの「リヴァイアサン」(1651年)が挙げられます。この著作でホッブズは、強力な絶対君主制こそが、人間の本性に基づく無秩序と混乱から社会を守る唯一の道であると主張しました。

ホッブズは、自然状態における人間は、限りない欲望と自己保存の本能に突き動かされ、絶え間ない「万人の万人に対する闘争」に巻き込まれると論じました。 この状態では、道徳も正義も存在せず、人生は「孤独で、貧しく、汚く、残酷で、短い」ものとなります。

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社会契約説と絶対主権

この恐怖に満ちた自然状態から逃れるために、人間は理性に導かれ、社会契約を結ぶとホッブズは主張します。 人々は自らの権利の一部を放棄し、絶対的な権力を持つ主権者に服従することに同意します。主権者は、法を制定し、執行し、内外の脅威から人々を守ることによって秩序と安全を保証します。

ホッブズにとって、この主権者は個人や集団ではなく、国家そのものです。「リヴァイアサン」というタイトルは、聖書に登場する巨大な海の怪物に由来し、国家の圧倒的な力を象徴しています。 国家の権力は、それがいかに専制的に見えても、自然状態の無秩序に比べればはるかにましであるとホッブズは考えました。

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対照的な思想

バクーニンとホッブズの思想は、人間の本性、自由の役割、国家の目的という根本的な問題において鋭く対立しています。 バクーニンは、人間は本質的に協力的であり、国家と宗教こそが腐敗と抑圧の根源であると信じていました。

一方、ホッブズは、人間は利己的な存在であり、強力な国家だけが彼らを制御し、文明社会を維持できると主張しました。 これらの対照的な見解は、政治哲学における永続的な緊張関係、すなわち個人の自由と社会秩序のバランスの問題を浮き彫りにしています。

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