## ハイデガーの存在と時間の表象
ハイデガーにおける「表象」の位置づけ
ハイデガーは、伝統的な形而上学、特にデカルト以来の近代哲学において、「表象」概念が中心的な役割を果たしてきたことを批判的に捉えます。彼によれば、伝統的な形而上学は、主観が客観を
「表象する」という図式によって世界を理解しようとしてきました。この図式においては、主観は世界から分離された認識主体として、客観としての世界を鏡のように映し出すものと想定されます。
「現前性」概念と「表象」の克服
ハイデガーは、このような伝統的な「表象」概念を克服するために、「現前性」という概念を導入します。彼にとって、人間存在は、世界から分離された認識主体ではなく、世界の中に「投げ込まれた」存在です。そして、人間存在は、世界の中で様々な「用具」と関わり合いながら、世界を「了解」していきます。
この「了解」は、「表象」のように対象を鏡に映し出すような客観的な認識行為ではありません。人間存在は、世界の中で具体的な「関心」や「懸念」を持って生きており、世界はそうした人間存在の具体的な生き方の中で「開示」されます。
時間性と「現前化」
ハイデガーによれば、世界が人間存在に対して「開示」されるのは、「時間性」の構造によるものです。人間存在は、過去から未来へと直線的に流れる時間の中に生きているのではなく、「過去」「現在」「未来」が相互に織りなす「時間性」の構造の中で生きています。
そして、世界は、人間存在の「時間性」の構造の中で、「現前化」します。つまり、世界は、「過去」においてすでに開示されており、「未来」の可能性を孕みながら、「現在」において人間存在に対して「現前」してきます。
「世界内存在」としての現存在
このように、ハイデガーは、「表象」概念を克服し、「現前性」「時間性」という概念に基づいて、世界と人間存在のあり方を根源的に問い直そうとしました。彼にとって、人間存在は、「世界内存在」として、世界と不可分に結びついた存在であり、世界は、人間存在の「時間性」の構造の中で「現前化」するものとして捉えられます。