## ハイデガーの存在と時間の世界
ハイデガーの問い
マルティン・ハイデガーの主著『存在と時間』（Sein und Zeit）は、1927年の刊行以来、20世紀の哲学のみならず、思想史全体に多大なる影響を与えた記念碑的作品です。本書でハイデガーが挑んだのは、西洋哲学の根幹をなす「存在」の意味を問う、という壮大なテーマでした。彼は、古代ギリシャ以来、忘れ去られてきた「存在の意味」という問いを現代に蘇らせ、人間存在のあり方を根本から問い直そうとしました。
現存在の分析
ハイデガーは、「存在」そのものを問うことが容易ではないことを認識した上で、まずは「存在」を問うことができる唯一の存在者である「人間」に焦点を当てます。彼は人間を「現存在」（Dasein）と呼び、その特徴を分析していきます。
ハイデガーによれば、現存在は単なる「事物」ではなく、「世界内存在」として、常に世界と関わり合いながら存在しています。彼は、現存在を規定する根本的な構造として、「世界内存在」「時間性」「歴史性」などを挙げ、それぞれを詳細に分析することで、「存在」への道筋を開こうとしました。
世界内存在
ハイデガーは、現存在が世界と切り離して存在することはできず、常に世界に「投げ込まれた」存在であると主張します。彼は、現存在が世界と関わる具体的な様態として、「気遣い」（Sorge）という概念を導入します。
気遣いとは、世界内の事物や他者に対して、ある特定の仕方で関わることを意味します。例えば、私たちはハンマーを「道具」として利用し、友人とは「対話」を通じて関係を築きます。このように、現存在は常に気遣いを介して世界と関わり、その存在を規定されているのです。
時間性
ハイデガーは、現存在を規定するもう一つの根本構造として「時間性」を挙げます。彼は、伝統的な時間理解が、客観的で均質な時間を前提としていると批判し、現存在にとっての時間とは、過去・現在・未来が相互に織りなす、動的なものであると主張します。
彼によれば、現存在は常に未来に向かって「先駆」し、過去の「企投」を受け継ぎながら、現在において「現にある」存在です。時間性は、単なる時間経過ではなく、現存在自身を構成する根源的な構造なのです。
歴史性
ハイデガーは、個々の現存在は、歴史的に形成された「世界」に投げ込まれた存在であることを強調します。彼は、言語・文化・伝統など、私たちを取り巻くあらゆるものが、過去の世代から受け継がれた「歴史」の産物であると指摘します。
現存在は、歴史から逃れることのできない存在であり、その意味での「歴史性」を本質的に備えています。私たちは、歴史を継承し、同時に新たな歴史を創造していく存在として、世界に「歴史的」に関わっているのです。