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デカルトの省察から学ぶ時代性

## デカルトの省察から学ぶ時代性

### 1.

近代合理主義の萌芽

デカルトの『省察』が書かれた17世紀は、中世的な権威主義から脱却し、理性に基づいた近代社会へと移行する激動の時代でした。伝統や信仰に依拠するのではなく、人間自身の理性によって真理を追求しようとする「近代合理主義」の思想が台頭し始めます。デカルトはその先駆者として、あらゆる先入観や偏見を捨て去り、「我思う、ゆえに我あり」という揺るぎない基礎から出発して、理性的な思考によって真理を構築しようとしました。

デカルトのこの試みは、当時の社会に大きな衝撃を与えました。 なぜならそれは、それまで絶対的なものとされてきた神や教会の権威を相対化し、人間自身の理性に重きを置くという、新たな世界観を提示するものだったからです。

### 2.

懐疑主義との対峙

デカルトが生きた時代は、宗教改革や三十年戦争など、ヨーロッパ社会が大きく揺さぶられた時代でもありました。 従来の価値観が揺らぎ、絶対的な真理を見失う「懐疑主義」が広がっていました。

デカルト自身もまた、この懐疑主義の波に飲み込まれそうになります。 しかし彼は、徹底的な懐疑を通して、あらゆるものを疑い尽くした先に、「疑っている自分自身」の存在だけは疑いようがないことに気づきます。 これが「我思う、ゆえに我あり」という有名な命題であり、デカルト哲学の出発点となりました。

### 3.

機械論的な世界観

デカルトは、世界を「精神」と「物質」という二つの実体からなるものと捉えました。 そして、物質世界は数学的な法則に従って運動する機械のようなものと考えました。 このような機械論的な世界観は、当時の科学技術の発展と呼応するものであり、後のニュートン力学の成立にも大きな影響を与えました。

一方、デカルトは人間を「精神」を持つ特別な存在として位置づけ、精神と物質を峻別しました。 これは、近代科学において人間が客観的な観察対象となっていく中で、人間の精神の自律性を守ろうとする試みでもありました。

### 4.

主観主義と客観主義の狭間

デカルトは、「我思う、ゆえに我あり」という主観的な確信を出発点としながら、そこから客観的な真理を導き出そうとしました。 この試みは、近代哲学における大きなテーマである「主観と客観の関係」を提起するものとなります。

デカルト自身は、神の存在を証明することによって、主観的な確信から客観的な真理へと橋渡しをしようとしました。 しかし、この試みは後の哲学者たちによって批判され、主観と客観の問題は、現代哲学においても重要なテーマであり続けています。

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