ダーウィンの種の起源の秘密
秘密1:出版までの遅延
ダーウィンは「種の起源」の着想を得てから、出版までに20年以上もの歳月を要しました。この遅延には、いくつかの要因が考えられています。
まず、ダーウィンは自らの理論が社会に与える影響の大きさを認識しており、十分な証拠を集め、反論に備える必要がありました。当時の社会では、生物種は神が創造した不変のものであるという考えが主流であり、ダーウィンの進化論はそれを根底から覆すものでした。
また、ダーウィンは健康問題にも悩まされていました。彼は航海中に原因不明の病気を患い、生涯にわたって苦しめられました。このため、研究に集中することが困難な時期もあったと考えられています。
秘密2:ウォレスの存在
ダーウィンが進化論の発表をためらっていた頃、アルフレッド・ラッセル・ウォレスという若き博物学者が、ダーウィンとほぼ同じ理論にたどり着きました。ウォレスはダーウィンに論文を送り、意見を求めました。
ダーウィンは、自分の長年の研究成果がウォレスに先を越されてしまうのではないかと焦燥感を抱きました。しかし、彼はウォレスの功績を認め、共同で論文を発表することを提案しました。
1858年、ダーウィンとウォレスの論文は、リンネ協会の学術雑誌に掲載されました。これは、ダーウィンが「種の起源」を出版する1年以上前のことでした。