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ダンテの天国篇の光と影

## ダンテの天国篇の光と影

### 光の表現とその意味

『神曲』天国篇において、光は神の栄光、愛、そして真理といった、天国の超越的な美と幸福を象徴する主要なモチーフとして繰り返し登場します。ダンテは、地上では決して体験し得ない強烈な光に満ち溢れた天国を、人間の言葉の限界に挑戦しながら描写しています。

たとえば、ダンテがベアトリーチェと共に初めて天界に昇るとき、彼は「

> **あらゆる光をはるかに超えた光が私を包み込み(中略)愛に満たされた音が織りなす甘美な協和音が私の耳に響いてきた。』(天国篇 第1歌 4-9)**

と表現し、天国の圧倒的な光と音楽を体感します。 また、天国に住む聖霊たちは、その魂の純粋さに応じて光り輝き、ダンテに神への愛を説きます。

さらに、ダンテが天国篇の頂点で神を目にしたとき、彼はそれを「

> **底知れぬ深淵の中心で、
> 三つの光の環を見た。(中略)
> ひとつの光からもうひとつの光が
> まるで虹から虹が生じるかのように輝き出ていた。』(天国篇 第33歌 115-120)**

と表現しており、人間の理解を超越した神の光を表現しています。このように、天国篇における光は、神の絶対的な存在と、そこから emanate する愛と真理を象徴し、読者に天国の超越的な美と幸福を体感させます。

### 影の存在とその役割

天国篇では、光が支配的なモチーフである一方で、「影」の存在も見られます。重要なのは、この「影」は悪や罪を象徴するものではなく、むしろ光の強烈さを際立たせるための対比として、あるいは人間の認識の限界を表現するために用いられている点です。

例えば、ダンテが太陽天において、義人たちの魂の眩いばかりの光に圧倒され、その姿をはっきりと見ることができない場面があります。また、月の天では、生前の誓いを全うできなかった魂たちが、影を帯びたように淡く光っています。彼らは自らの意志の弱さを悔いてはいますが、神への愛は失っておらず、天国の光に包まれています。

このように、天国篇における「影」は、悪や闇を象徴するものではなく、むしろ、強烈な光との対比によって、その輝きをより一層際立たせる効果や、人間の視点からの限界を表現する役割を担っています。

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