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タキトゥスのゲルマニアの表現

タキトゥスのゲルマニアの表現

ゲルマン人の起源

タキトゥスは『ゲルマニア』の中で、ゲルマン人が他の民族との混血を嫌うことから、その起源は純粋であると述べています。ゲルマン民族の起源にまつわる伝承として、トゥイストー神から生まれたマンヌスを祖とする説や、ヘルクレスと関連づける説などが紹介されています。しかし、タキトゥス自身はこれらの伝承を鵜呑みにせず、客観的な立場を保っています。

ゲルマン人の風習

ゲルマン人の風習については、身体的特徴、服装、婚姻、家族、社会制度、宗教、戦争など、多岐にわたって記述されています。特徴的な点として、金髪碧眼で体格が大きく、質素な服装を好み、一夫一婦制を基本とし、女性は貞節を重んじ、客人をもてなすことを美徳とすることなどが挙げられます。また、戦争に関しては勇敢で、戦死は名誉とされ、臆病者は恥とされました。

ゲルマン社会の構造

ゲルマン社会は、王や族長などの指導者層と、自由民、解放奴隷、奴隷から構成されていました。指導者は、血統や武勇によって選ばれ、民会において発言力を持っていました。自由民は、土地を所有し、武器を携行する権利を持ち、戦争に参加することができました。解放奴隷は、自由民よりは低い身分でしたが、奴隷よりは自由な立場にありました。奴隷は、戦争捕虜や負債によって発生し、主人に絶対的に服従することが求められました。

ゲルマニアにおけるローマの影響

タキトゥスは、ゲルマン人がローマとの交易を通じて、ローマの文化や習慣の影響を受けていることを指摘しています。具体的には、ローマ産の奢侈品を好むようになり、ローマの貨幣が流通し、一部のゲルマン人はラテン語を話すようになっていたことが挙げられます。しかし、タキトゥスは、ゲルマン人がローマ化によって、本来の勇猛さを失ってしまうことを危惧してもいました。

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