ソローの市民の不服従の対極
プラトンの「国家」における法への絶対的服従
ソローの「市民の不服従」は、個人の良心と道徳律に基づき、不正義な法律に抵抗する権利を強く主張した作品として知られています。一方、プラトンの「国家」は、対照的に、法への絶対的な服従を説き、理想的な国家のあり方を追求しています。
「国家」は、ソクラテスの対話を通して、正義とは何か、そして理想的な国家とは何かを探求していく哲学書です。プラトンは、国家を構成する人々のそれぞれの役割と徳を重視し、統治者である「哲人王」が理性に基づき統治する社会を理想として提示します。
「国家」において、法は、統治者の理性に基づき制定され、社会全体の秩序と調和を保つための絶対的な規範として位置づけられています。個人の自由や権利よりも、国家全体の利益と秩序が優先されるべきだと考えられており、たとえ個人が不当だと感じる法律であっても、それに従うことが市民の義務とされています。
「国家」では、個人が法に抵抗することは、国家全体の秩序を乱し、混乱をもたらすものとして否定的に捉えられています。プラトンは、たとえ不完全な法律であっても、それに従うことで国家の安定が保たれ、より大きな混乱を防ぐことができると考えました。
このように、「ソローの市民の不服従」と「プラトンの国家」は、法に対する考え方、個人の権利と国家のあり方という点において、全く対照的な主張を展開しています。