# ジョイスの若い芸術家の肖像を深く理解するための背景知識
ジェームズ・ジョイスの生い立ちとアイルランドの状況
ジェームズ・ジョイスは、1882年2月2日、アイルランドのダブリンに生まれました。当時、アイルランドはイギリスの支配下にあり、政治的、文化的にも抑圧された状況にありました。アイルランドの人々は、自分たちの文化や言語を奪われ、イギリス文化を押し付けられていました。カトリック教会もまた、アイルランド社会に大きな影響力を持っており、人々の生活を厳しく統制していました。ジョイスは、裕福な家庭に生まれましたが、父親の事業の失敗により、徐々に貧困へと転落していきます。この経験は、彼の作品に大きな影響を与え、社会の不平等やカトリック教会への批判として表現されることになります。
カトリック教会とイエズス会教育の影響
ジョイスは幼少期から、厳格なカトリックの教育を受けました。彼は、ダブリンのイエズス会が運営する学校、クロンゴウズウッド・カレッジとベルベディア・カレッジで学びました。イエズス会教育は、規律と従順を重視し、生徒たちに古典や修辞学を徹底的に教え込みました。ジョイスは、優れた学業成績を収めましたが、同時に教会の権威主義的な姿勢や教義に疑問を抱くようになります。彼の作品には、カトリック教会に対する批判や、信仰からの離脱といったテーマが繰り返し登場します。
アイルランドのナショナリズムと芸術運動
19世紀後半から20世紀初頭にかけて、アイルランドでは、イギリスからの独立を目指すナショナリズム運動が高まっていました。この運動は、アイルランドの文化や言語を復興させようとする「アイルランド文芸復興運動」とも結びついていました。ジョイスは、若い頃からアイルランドのナショナリズムに関心を持ち、ゲーリック語を学び、アイルランドの伝統音楽や演劇に触れていました。しかし、彼は、排他的なナショナリズムや伝統主義には批判的で、真の芸術は普遍的なものでなければならないと考えていました。
ヨーロッパ大陸への亡命とモダニズム文学
ジョイスは、1904年にアイルランドを離れ、ヨーロッパ大陸で暮らすようになりました。彼は、パリ、トリエステ、チューリッヒなどを転々とし、英語教師や銀行員などの仕事をして生計を立てながら、創作活動に打ち込みました。この時期、ジョイスは、イブセン、イプセン、ニーチェなどの思想や、フランス象徴主義などの文学運動の影響を受け、独自のモダニズム文学を確立していきます。彼は、「意識の流れ」と呼ばれる手法を用いて、登場人物の内的世界を緻密に描写し、従来の小説の枠組みを打ち破りました。
「若い芸術家の肖像」の執筆と出版
「若い芸術家の肖像」は、ジョイスが20代の頃に執筆した自伝的小説です。当初は、「スティーブン・ヒーロー」というタイトルで、アイルランドの文芸誌に連載されましたが、編集者との意見の相違により、連載は中断されました。その後、ジョイスは、作品を大幅に改稿し、1916年に「若い芸術家の肖像」として出版しました。この作品は、ジョイスの初期の代表作であり、彼のモダニズム文学への道を切り開いた重要な作品として評価されています。
「若い芸術家の肖像」のテーマと特徴
「若い芸術家の肖像」は、主人公スティーブン・デダラスの幼少期から青年期までの成長を描いた教養小説です。スティーブンは、ジョイス自身の分身であり、彼の芸術家としての成長過程が、アイルランド社会やカトリック教会に対する葛藤を通して描かれています。この作品は、意識の流れの手法、神話や宗教のモチーフ、象徴的なイメージなどを用いた、ジョイスのモダニズム文学の特徴が色濃く表れた作品となっています。
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