ジェイムズのプラグマティズムの対極
普遍的理性と絶対的真理の擁護
ウィリアム・ジェームズのプラグマティズムは、その核心において、アイデアの真実はその実際的な結果によって判断されるべきだと主張しています。これは、普遍的な理性と絶対的な真理を重視した伝統的な哲学的立場とは大きく対照的です。この伝統の中で、ジェームズのプラグマティズムの対極として挙げられる最も影響力のある作品のひとつに、プラトンの対話篇『テアイテトス』があります。
プラトンの『テアイテトス』における知識の探求
『テアイテトス』は、知識の本質についての探求を描いた対話篇です。ソクラテスと若い数学者テアイテトスの会話を通して、プラトンは知識の様々な定義を検討し、批判していきます。例えば、「知識は感覚ではない」「知識は真なる信念ではない」「知識は真なる信念と説明の連結ではない」といった定義が検討されます。
プラトンは、これらの定義を退けながらも、知識の明確な定義を提供することを意図的に避けています。むしろ、この対話篇は、私たちが当然のことと考えている概念について、批判的に考察することの重要性を強調しています。プラトンにとって、真の知識とは、変化する感覚世界を超越し、普遍的で不変の形式、つまりイデアの世界に存在するものです。
プラグマティズムに対するプラトンの立場
プラトンの立場は、ジェームズのプラグマティズムとは根本的に対照的です。ジェームズにとって、真実は流動的で、私たちの経験とニーズに関連して変化するものです。一方、プラトンにとって、真実は永遠不変であり、私たちの主観的な経験とは独立しています。
プラトンは、数学や幾何学の真理を例に挙げ、普遍的で不変の知識が存在することを主張します。これらの真理は、私たちがそれらをどのように経験するか、あるいはそれらが私たちにとってどのような実際的な結果をもたらすかにかかわらず、真です。
『テアイテトス』は、知識の本質と普遍的な真理の可能性を探求することで、ジェームズのプラグマティズムとは対照的な哲学的立場を提供しています。この対話篇は、私たちの信念を正当化するための確固たる基盤を提供しようとする試みとして、今日でも重要な意味を持っています。