Skip to content Skip to footer

シュミットの政治的なものの概念の批評

## シュミットの政治的なものの概念の批評

###

友敵の区別

シュミットは、「政治的なもの」を「友」と「敵」の区別によって定義しました。これは、政治を本質的に対立と敵意に基づくものと捉える、非常に鋭い洞察を提供するものです。

しかし、この定義は、いくつかの点で批判されています。第一に、この定義は、政治をあまりにも狭く捉えすぎているという批判があります。政治は、確かに対立や敵意を含むこともありますが、同時に、協調や合意形成、妥協なども重要な要素です。シュミットの定義では、これらの要素が十分に考慮されていません。

第二に、「友」と「敵」の区別が、常に明確にできるわけではないという問題もあります。現実の政治においては、誰が「友」であり、誰が「敵」であるのか、明確に区別できない場合も少なくありません。また、「敵」として認識されていた集団が、「友」へと変化していくこともあれば、その逆も起こりえます。シュミットの定義は、このような政治の流動性を捉えきれていません。

###

例外状態と主権

シュミットは、「例外状態」において、主権者が法秩序を一時的に停止し、非常措置を講じることができるという考えを主張しました。これは、国家の危機において、迅速かつ効果的な対応をとるためには、一定程度やむを得ない側面があります。

しかし、この考え方は、同時に、権力の濫用につながる危険性も孕んでいます。誰が、どのような場合に、「例外状態」を宣言できるのか、明確な基準がなければ、主権者が自らの権力を強化するために、この概念を悪用する可能性も否定できません。歴史的に見ても、「例外状態」の概念を悪用して、独裁政権が成立した例は、枚挙にいとまがありません。

###

リベラリズム批判

シュミットは、リベラリズムが、政治における対立を否定し、合意や妥協を重視するあまり、「政治的なもの」の本質を見失っていると批判しました。確かに、リベラリズムは、対話や妥協を通じて、平和的に問題を解決することを目指しており、その点で、対立を強調するシュミットの立場とは、対照的です。

しかし、だからといって、リベラリズムが「政治的なもの」を理解していないということにはなりません。リベラリズムは、対立の存在を認めつつも、それを暴力ではなく、対話によって解決しようと試みる政治思想です。シュミットは、リベラリズムのこの側面を十分に評価していなかったと言えるでしょう。

Amazonで詳細を見る

Leave a comment

0.0/5