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シュミットの憲法理論の世界

## シュミットの憲法理論の世界

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ワイマール憲法の現実と危機

カール・シュミットは、ワイマール共和国(1919-1933)という激動の時代に憲法学者として活躍しました。第一次世界大戦後のドイツは、敗戦と経済危機、国内の政治対立など、深刻な状況に直面していました。ワイマール憲法は、国民の自由と権利を保障する一方で、議会政治を重視したシステムを採用していましたが、当時のドイツ社会における深刻な対立と危機を前に、その有効性や政治体制の安定性について疑問視されることも少なくありませんでした。

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政治的なものと立憲主義批判

シュミットは、ワイマール憲法の限界を、当時のリベラルな立憲主義の限界と捉え、鋭い批判を加えました。彼は、政治の本質は「友と敵」の区別、すなわち政治的な対立にあると主張しました。議会政治や法治主義といった立憲主義的な手続きは、この根源的な政治的対立を覆い隠し、最終的な決断を曖昧にすることで、かえって政治の危機を招くと考えたのです。

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主権概念と例外状態

シュミットは、「主権者とは、例外状態を決定する者である」という有名なテーゼを掲げました。彼にとって、主権とは、憲法にも法にも拘束されない絶対的な権力を意味し、それは、国家の存立を脅かすような非常事態において、明確に姿を現すと考えました。議会や裁判所といった通常の国家機関では対応できないような危機において、主権者は、憲法の枠組みを超えて、国家の安全と秩序を守るために、必要なあらゆる措置を講じることができると主張したのです。

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シュミット憲法理論の影響と論争

シュミットの憲法理論は、ナチス政権による権力掌握と、その後の全体主義体制を正当化する根拠として利用されたという点で、今日でも激しい議論の的となっています。一方で、彼の理論は、立憲主義の抱える問題点や政治の現実を鋭く指摘しており、現代の憲法理論や政治思想にも大きな影響を与え続けています.

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