## シジウィックの倫理学の方法の批評
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直観主義への批判
シジウィックは、功利主義と直観主義の調和を試みる一方で、伝統的な直観主義に対して幾つかの批判を展開しました。彼は、道徳的直観が人によって、また文化によって異なり得ることを指摘し、客観的な道徳の基礎となり得るのかという疑問を呈しました。
具体的には、シジウィックは、道徳的直観が感情や社会慣習の影響を受けやすいことを指摘しました。彼は、ある文化では当然とされる行為が、別の文化では非難されることがあることを例に挙げ、道徳的直観を普遍的な道徳規範の根拠とすることに疑問を投げかけました。
しかし、シジウィック自身も、道徳的直観を完全に否定していたわけではありません。彼は、道徳的推論の出発点となるいくつかの「自明な道徳的公理」の存在を認めていました。しかし、これらの公理は非常に一般的かつ抽象的なものであり、具体的な道徳的問題に適用するには解釈の余地が大きいと彼は考えていました。
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功利主義への批判
シジウィックは功利主義を支持しながらも、その問題点についても鋭く指摘しました。彼は、功利主義が人間の心理的な複雑さを十分に考慮していないと批判しました。
例えば、シジウィックは、「功利計算」の困難さを指摘しました。彼は、将来の結果を予測すること、さまざまな結果の価値を比較すること、そして最大多数の最大幸福を実現するために最適な行動を選択することの難しさを論じました。
さらに、シジウィックは、功利主義が個人の権利と正義の問題に十分に対応できていないとも考えていました。彼は、功利主義的な計算によって、少数の犠牲の上に多数の幸福が実現される状況を正当化できるのかという問題を提起しました。
これらの批判にもかかわらず、シジウィックは功利主義を完全に放棄したわけではありませんでした。彼は、功利主義の原則が他の倫理理論と比較して、より合理的で普遍的なものであると信じていました。しかし、彼は、功利主義が抱える問題点を克服するために、さらなる理論的な精緻化が必要であると考えていました。