シェーラーの宇宙における人間の位置の対極
1. シェーラーの「宇宙における人間の位置」の概要
マックス・シェーラーは、その主著「宇宙における人間の位置」(1928年)において、独自の哲学的人間学を展開しました。彼は、人間を、植物、動物と一線を画する「精神」を有する存在として位置づけました。シェーラーによれば、世界は「環境世界」「生活世界」「文化世界」の3つの層から成り立ち、人間は唯一、このすべての層を貫通する存在です。
2. シェーラーの思想の対極となりうる立場
シェーラーの思想の対極となりうる立場として、以下のようなものが考えられます。
* **人間中心主義からの脱却を唱える思想**: シェーラーは、人間を他の生物と区別する「精神」の存在を強調しましたが、これは、人間中心主義的な視点に基づいていると解釈することもできます。 環境倫理学や動物倫理学など、人間中心主義からの脱却を唱える現代の思想は、シェーラーの思想と対照的な立場と言えるでしょう。
* **唯物論**: シェーラーは、人間の精神を物質とは独立した実体として捉えましたが、唯物論は、精神を含むすべての現象を物質の運動や相互作用によって説明しようとします。マルクスの唯物史観や、現代の神経科学における意識の物質的基盤の探求などは、シェーラーの思想とは異なる前提に立っています。
* **構造主義やポスト構造主義**: シェーラーは、人間を自律的な主体として捉えていましたが、構造主義やポスト構造主義は、言語や社会構造といったものが、人間の思考や行動を規定すると考えます。フーコーの権力論やデリダの脱構築などは、人間の主体性を相対化する点で、シェーラーの思想と対照的です。
3. 対極的な立場の例
具体的な例として、構造主義の思想家であるクロード・レヴィ=ストロースの思想を取り上げてみましょう。レヴィ=ストロースは、その著書「野生の思考」(1962年)において、未開社会の思考様式を分析し、それが西洋の論理思考と全く異なる独自の論理に基づいていることを明らかにしました。彼は、人間の思考は、文化や社会構造によって規定されると考え、人間の精神に普遍的な構造を見出すことはできないと主張しました。これは、人間の精神に特別な地位を与えようとするシェーラーの思想とは対照的です。
**注**: 上記は、あくまでシェーラーの思想と対照的な立場になりうるものの例であり、網羅的なものではありません。また、それぞれの立場は多様であり、一括りに論じることはできません。