## シェイクスピアのリチャード二世の思索
王権についての考察
リチャード二世は、王権は神から与えられた絶対的なものだと信じています。彼は自分が神の代理人であり、その権威は誰にも侵すことができないと考えています。この信念は、彼が自分の行動を正当化するために繰り返し口にするものです。たとえば、彼は自分のいとこであるヘンリー・ボリングブルックを不当に追放した際にも、自分の行動は神の意志に基づいていると主張します。
しかし、劇が進むにつれて、リチャードの王権に対する見方は変化していきます。彼は自分が王座を追われ、囚われの身となる中で、王としての権力と栄光のはかなさを痛感するようになります。そして、王冠や称号といった外的なものに頼ることなく、人間としての尊厳を見出そうともがくようになります。
運命と自由意志
リチャード二世は、運命と自由意志の関係についても深く考えています。彼は自分が運命のいたずらに翻弄されていると感じており、自分の行動が最終的な結末を変えることはできないと考えています。
彼は、自分の運命を受け入れることと、それに抵抗することの間で葛藤します。一方で、彼は自分が運命の犠牲者であると嘆き、運命を呪います。他方で、彼は自分の意志で行動を起こそうとし、運命に抗おうとする姿も見せます。
自己認識と自己欺瞞
リチャード二世は、自己認識と自己欺瞞の間で揺れ動く人物でもあります。彼は自分が優れた王であると信じたいと思っていますが、実際には彼の行動は傲慢で無謀なものでした。
彼は自分が直面している現実から目をそらし、空想の世界に逃避しようとします。鏡に映る自分の姿を見つめる場面は、彼の自己認識と自己欺瞞の葛藤を象徴的に表しています。
人間の苦悩と尊厳
リチャード二世は、王座を追われ、囚われの身となる中で、人間としての苦悩と尊厳について深く考えさせられます。彼は、王としての権力や栄光を失った後も、人間としての価値を保ち続けられるのかという問いと向き合います。
彼は、苦しみや屈辱を通して、人間存在の本質について洞察を得ていきます。そして、最終的には、外的なものに頼ることなく、人間としての尊厳を見出そうとします。