## サルトルの弁証法的理性批判の思考の枠組み
サルトルの弁証法的理性批判における中心概念は、「実践」と「全体化」です。
サルトルは、人間存在を「実践的存在」として捉え、あらゆる意識は世界内における実践と不可分であると主張します。彼にとって、世界を理解するということは、世界に対する人間の積極的な関与、すなわち「実践」を通して理解することと同義です。
サルトルは、ヘーゲルの弁証法を批判的に継承し、「全体化」という概念を用いて歴史を説明しようと試みます。
ヘーゲルは、歴史を「絶対精神」の自己展開として捉えましたが、サルトルはこれを唯物論的に解釈し直し、歴史を人間の「実践」の総体として捉え直しました。彼によれば、個々の人間の行為は、それ自体としては意味を持ちませんが、他の無数の行為と相互作用し、全体性を形成することによって歴史という大きな流れを作り出すのです。この全体性を形成する運動こそが「全体化」です。
しかし、サルトルは、この「全体化」が常に完全な形で実現されるわけではないことを強調します。
なぜなら、人間はそれぞれ自由な存在であり、他者の「実践」によって完全に規定されることはないからです。個人の自由な「実践」は、全体化の過程に新しい要素を付け加え、歴史に変化をもたらします。このように、サルトルは、歴史を「実践」と「全体化」の弁証法的な運動として捉え、人間の自由と歴史の必然性の関係を明らかにしようと試みたのです。
サルトルは、『弁証法的理性批判』において、「実践的アンサンブル」と「惰性的全体性」という二つの概念を対比させています。
「実践的アンサンブル」とは、共通の目的を持つ人々の集団が、互いに協力し合いながら、主体的に作り上げていく全体性を指します。一方、「惰性的全体性」とは、個人の自由な「実践」を疎外し、固定化してしまうような、硬直化した全体性を指します。サルトルは、「実践的アンサンブル」を通してのみ、真の自由と解放が実現されると考えました。