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サルトルの『存在と無』とアートとの関係

## サルトルの『存在と無』とアートとの関係

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サルトルの実存主義におけるアートの役割

サルトルは『存在と無』の中で、伝統的な形而上学を批判し、人間の存在は本質に先立つという「実存は本質に先立つ」というテーゼを主張しました。 人間は、神によって創造されたものではなく、あらかじめ決められた本質も持ち合わせていません。 人間は、自由な選択と行動を通じて、自らの存在を創造していく存在であるとされます。

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芸術と「無」の意識

サルトルは、人間存在の根底には「無」が存在すると考えました。 これは、虚無主義的な意味での「無」ではなく、可能性と自由の源泉としての「無」です。
人間は、この「無」を意識することによって、自らの有限性、不確かさ、そして自由の可能性を認識します。

芸術作品は、この「無」の意識を喚起する役割を担います。 芸術作品は、現実の世界を単に模倣するのではなく、作者の主観的な視点を通して再構成された世界を提示します。
この再構成された世界は、現実世界とは異なる論理や価値観に基づいており、鑑賞者に新たな視点を提供し、現実世界に対する疑念や問いを生み出すことがあります。

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芸術における自由と責任

サルトルは、芸術家もまた、他のあらゆる人間と同じように、自由で責任ある存在であると考えました。 芸術家は、作品を通じて自身の主観的な価値観や世界観を表現する自由を持つと同時に、その表現によって生じる影響や結果に対して責任を負わなければなりません。

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「アンガージュマン」と芸術

サルトルは、後に「アンガージュマン(engagement)」、すなわち社会や政治に対する積極的な参与を主張するようになります。
芸術もまた、この「アンガージュマン」の重要な手段となりえます。
芸術家は、作品を通じて社会問題を告発したり、人々に新たな価値観を提示したりすることで、社会変革を促すことができます。

これらの点から、『存在と無』におけるアートは、単なる美的体験を超え、人間の自由、責任、そして社会との関わりを考える上で重要な意味を持つと言えます。

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