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コンラッドの闇の奥を深く理解するための背景知識

コンラッドの闇の奥を深く理解するための背景知識

コンラッドの生い立ちと経験

ジョゼフ・コンラッド(本名ユゼフ・テオドール・コンラッド・コレジオフスキー)は、1857年、当時ロシア帝国領であったポーランドのベルディチェフに生まれました。両親はポーランドの貴族階級出身で、熱心な愛国者であり、ロシア帝国からの独立を強く願っていました。コンラッドは幼少期から、両親の影響でロシア帝国による抑圧と、それに抵抗するポーランド人の姿を目の当たりにしました。これは彼の作品に深く影響を与え、抑圧、暴力、植民地主義といったテーマが繰り返し描かれることになります。

1862年、ロシア当局による弾圧のため、一家はシベリアに流刑されます。過酷な環境の中で、コンラッドは幼くして母親を失い、父親も病に倒れます。その後、叔父の世話になるためにスイスに移り住み、そこでフランス語を学びました。

17歳でコンラッドは船乗りになることを決意し、フランスの商船隊に入隊します。その後、イギリス商船隊に移籍し、20年以上船乗りとして世界各地を航海しました。特に、アジア、アフリカ、南米など、当時のヨーロッパ列強による植民地支配が進む地域を航海した経験は、彼の作品に大きな影響を与えました。コンラッドは船乗りとしての経験を通して、異文化との接触、植民地主義の現実、人間の持つ残酷さなどを目の当たりにし、それらを作品に反映させていくことになります。

植民地主義とコンゴ自由国

19世紀後半、ヨーロッパ列強によるアフリカ大陸の植民地化が急速に進みました。ベルギー国王レオポルド2世は、私有領地としてコンゴ自由国を支配し、天然ゴムなどの資源を搾取しました。コンゴ自由国では、先住民に対する強制労働、虐待、殺害などが横行し、数百万人が犠牲になったと推定されています。

コンゴ自由国における残虐行為は、徐々にヨーロッパ諸国にも知られるようになり、国際的な批判が高まりました。コンラッド自身も、1890年にコンゴ川を遡上する蒸気船の船長を務めた経験を通して、コンゴ自由国の実態を目の当たりにしました。この経験は彼に大きな衝撃を与え、「闇の奥」の執筆へとつながります。

「闇の奥」の舞台と登場人物

「闇の奥」は、コンゴ川を舞台にした物語です。語り手のチャールズ・マーロウは、イギリスの貿易会社の汽船の船長としてコンゴ川を遡上し、奥地で象牙の取引を行うクルツという謎めいた人物を探します。

クルツは、高い知性とカリスマ性を持つ人物として描かれていますが、同時に、コンゴの先住民に対して残虐行為を繰り返す人物でもあります。彼は象牙の獲得に狂い、次第に人間性を失っていく姿が描かれています。

「闇の奥」は、単なる冒険物語ではなく、植民地主義の暗部、人間の心の闇、西洋文明の欺瞞などを描いた作品として解釈されています。コンラッドは、クルツという人物を通して、人間の持つ野蛮性、権力への欲望、文明の仮面の下に隠された残虐性を描き出しました。

「闇の奥」の影響

「闇の奥」は、発表当初はそれほど注目されませんでしたが、20世紀に入ると高く評価されるようになり、多くの作家や思想家に影響を与えました。特に、T・S・エリオットやフランシス・フォード・コッポラなどの作品に大きな影響を与えたことが知られています。

コッポラ監督の映画「地獄の黙示録」は、「闇の奥」をベトナム戦争を舞台に翻案した作品であり、戦争の狂気や人間の心の闇を描いた作品として高い評価を得ています。

「闇の奥」は、植民地主義の批判、人間の心の闇の探求、西洋文明への懐疑など、現代社会においても重要なテーマを扱った作品として、読み継がれています。

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読書意欲が高いうちに読むと理解度が高まります。

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