ケルゼンの自然法論と法実証主義が扱う社会問題
自然法論と法実証主義:対立する2つの正義
ハンス・ケルゼンは、20世紀の最も影響力のある法哲学者の一人であり、その法実証主義理論は法学界に大きな影響を与えました。彼は、「法とは何か」という問いに対して、道徳や正義といった規範的な観点からではなく、客観的な事実と論理に基づいて答えようとしたのです。これが、彼の法実証主義の中核をなす考え方です。
ケルゼンは、自然法論が抱える問題点を鋭く指摘しました。自然法論は、法と道徳を不可分に結びつけ、「不正義な法は法ではない」という立場を取ります。しかし、ケルゼンは、何が「正義」であるかについては、時代や文化によって解釈が異なることを指摘し、客観的な基準を見出すことが困難であると主張しました。彼は、法と道徳を明確に区別することで、法の客観性と安定性を確保しようとしたのです。
社会問題への応用:ナチス政権と法実証主義のジレンマ
ケルゼンの法実証主義は、特にナチス政権下における法の解釈をめぐって、大きな論争を巻き起こしました。ナチス政権は、民主的な手続きを無視して制定された法律に基づき、ユダヤ人に対する迫害や大量虐殺などの残虐行為を行いました。
この状況下で、ケルゼンの法実証主義は、「法として制定されたものは、たとえそれが道徳的に間違っていたとしても、法として有効である」という立場を取ることになります。これは、ナチスの犯罪を正当化するものではないかと批判されました。
一方で、ケルゼンは、法実証主義は、単に法の有効性を認める理論ではなく、法の改正や抵抗運動のための法的根拠を提供するものでもあると主張しました。彼は、法実証主義は、法の支配を擁護するものではなく、法の乱用から人々を守るための理論であると考えたのです。
法の限界と道徳の役割:ケルゼンの苦悩と模索
ケルゼンの法実証主義は、法と道徳を明確に区別することで、法の客観性と安定性を確保しようとしました。しかし、ナチス政権の例が示すように、法が常に正義を実現するとは限りません。
ケルゼン自身も、法実証主義の限界を認識しており、法の背後には、何らかの道徳的な基盤が必要であることを認めていました。彼は、法の究極的な根拠を「基本規範」に求めましたが、この基本規範は、道徳的な価値判断を含まない、純粋に形式的な規範として構想されました。
ケルゼンの法実証主義は、法と道徳の関係、そして法の役割について、重要な問いを投げかけました。彼の理論は、法が人間の行為を規制する上で、どのような役割を果たすべきか、そして、正義の実現のために、法はどのように運用されるべきかについて、我々に深い思考を促すものです。