## キルケゴールの死にいたる病
「死にいたる病」の翻訳における問題点
キルケゴールの主著の一つである『死に至る病』は、その哲学的、神学的深遠さから多くの読者を惹きつけると同時に、翻訳の難しさでも知られています。原題である”Sygdommen til Døden”を直訳すると「死への病」となりますが、「死にいたる病」という翻訳が一般的です。 この翻訳は、原文のニュアンスを完全に伝えきれているとは言い難い点も存在します。
「死」の概念の多義性
まず、「死」という言葉自体が、キルケゴールにおいては単なる肉体的死のみならず、精神的な死、絶望の状態、神から隔てられた状態など、多義的に用いられている点が挙げられます。 原文の”Døden”は、名詞として「死」を意味するだけでなく、動詞”at dø”(死ぬ)の語根でもあり、死の状態と過程の両方を内包しています。
「病」と「絶望」の関係性
次に、「病」という言葉も、キルケゴールにおいては一般的な病気とは異なる意味合いを持っています。彼は「絶望」を「死にいたる病」と呼び、人間存在の根源的な問題として捉えています。
「絶望」は、自己と自己の可能性との関係における不調和として理解されます。 つまり、「死にいたる病」は、肉体的、精神的な衰弱というよりも、自己存在の危機、神との断絶によって引き起こされる、実 existenz Existenz 的な危機を指しています。
翻訳における解釈の差異
これらの点を踏まえると、「死にいたる病」という翻訳は、死へと向かう過程、つまり絶望という精神的な死の状態が進行していく様を表現していると解釈できます。
一方で、原題が持つ「死への病」というニュアンス、すなわち死そのものが病であるという逆説的な意味合いが薄れてしまっているという指摘もあります。