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カントの人倫の形而上学・法論と言語

## カントの人倫の形而上学・法論と言語

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言語の役割

カントの道徳哲学において、言語は単なるコミュニケーションの道具ではなく、理性的な存在者としての我々の本質に関わる重要な要素です。カントは、人間を他の動物と区別するものは理性であり、理性は言語を通じて表現され、他者と共有されると考えました。

『人倫の形而上学』においてカントは、道徳法則を純粋理性から導き出そうと試みます。これは、道徳法則が経験的なものではなく、アプリオリに、つまり経験に先立って理性に与えられていることを意味します。そして、この道徳法則を表現し、理解するためには言語が不可欠となります。

カントは道徳法則を「定言命法」として定式化します。定言命法は、それが含んでいる行為の善さや結果ではなく、それ自体において妥当な法則です。そして、この定言命法は言語を通じて表現され、理解されます。例えば、最も有名な定式化である「汝の意志の格率が、つねに同時に、普遍的な立法の原理となるように行為せよ」という命法は、言語によって表現され、理解されることによって初めてその意味を持ちます。

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言語と普遍性

カントにとって、道徳法則は普遍的なものであり、すべての人間に等しく適用されます。この普遍性は、言語の持つ普遍性と密接に関係しています。言語は、特定の個人や文化に限定されることなく、すべての人間が共有しうるものです。

カントは、道徳法則の普遍性を保証するものとして「普遍化可能性」の概念を導入します。これは、ある行為の格率(主観的な行動原則)が道徳的であるためには、それがすべての人によって普遍的に意志されうるものでなければならないというものです。この普遍化可能性を判断するためには、言語を通じて自分の格率を他者に提示し、彼らがそれを普遍的な法則として受け入れることができるかどうかを検討する必要があります。

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言語の限界

ただし、カントは言語の限界についても認識していました。言語はあくまで人間の理性によって作られたものであり、それ自体が完全無欠なものではありません。 道徳的な真理を完全に表現するには、言語は不十分な場合があります。

さらに、カントは道徳的判断においては、言語によって表現される概念だけでなく、「道徳感覚」も重要であるとしました。道徳感覚とは、理性とは独立に、善悪を判断する能力のことです。 カントは、道徳感覚は言語化できない直感的な能力であると考えました。

このように、カントにとって言語は道徳法則を理解し、表現するための重要な道具であると同時に、その限界も認識されるべきものでした。

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