## エリアーデの聖と俗の光と影
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聖なる空間の光
ミルチャ・エリアーデは、その主著『聖と俗』において、伝統的な社会における「聖なるもの」と「俗なるもの」の対比を軸に、宗教経験の本質を明らかにしようと試みました。エリアーデによれば、「聖なるもの」は、非均質な空間である日常世界(俗なる空間)に突如として顕現します。
例えば、砂漠に住む遊牧民にとって、ある日突然現れた緑豊かなオアシスは、単なる水場以上の意味を持ちます。それは、乾ききった日常空間の中に現れた「聖なる空間」であり、生命の源泉であると同時に、神々や精霊の住まう場所として認識されます。
このように、聖なる空間は、俗なる空間とは異なる質的な差異を有しており、そこには超越的な力が宿ると考えられています。人々はこの聖なる空間と接触することによって、日常的な時間や空間の束縛から解放され、永遠性や全体性といった宗教的体験を得ることが可能になるのです。
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聖と俗の対立と葛藤:影の部分
しかし、エリアーデの聖と俗の概念は、同時にいくつかの問題点を孕んでいることも指摘しなければなりません。まず、「聖なるもの」と「俗なるもの」の二元論的な対立図式は、現実の宗教現象を単純化しすぎているという批判があります。
実際には、聖と俗は明確に区分できるものではなく、相互に浸透し合いながら複雑な様相を呈している場合も少なくありません。例えば、現代社会においても、宗教的な祝祭は、日常空間の中に非日常的な時間を創出し、人々に特別な体験をもたらすという意味で、聖なる空間の顕現と捉えることができます。
また、エリアーデは伝統的な社会における宗教経験を理想化しすぎているという批判もあります。彼は、近代化によって聖なるものが失われていくことを嘆いていましたが、近代社会においても、人々は宗教とは異なる形で超越的なものを求めているとも考えられます。
例えば、芸術やスポーツ、恋愛といった非宗教的な活動の中にも、人々に高揚感や一体感を抱かせるという意味で、宗教的体験に類似した側面を見出すことができるでしょう。