## イシグロの忘れられた巨人から学ぶ時代性
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記憶と歴史
イシグロの『忘れられた巨人』は、霧に包まれた古代ブリテンを舞台に、記憶と忘却、そしてそれが歴史や民族のアイデンティティにどう影響するかを描いた物語です。作中では、人々は謎の霧により過去の記憶を奪われ、日々の暮らしにのみ意識を集中させています。
主人公の老夫婦、アクセルとベアトリスもまた、自分たちの過去が曖昧なまま、ただ共に旅を続けています。旅の途中で出会う人々も皆、過去の出来事を断片的にしか覚えておらず、それが原因で争いが起きたり、逆に過去の恨みが忘れ去られていることで平和が保たれている場面も描かれています。
この霧は、個人の記憶だけでなく、民族や国家の共有する歴史、つまり「集合的記憶」をも象徴しています。作中で描かれるサクソン人とブリトン人の対立は、過去の侵略と支配という歴史がもたらした憎しみの連鎖を示しています。しかし、霧によってその歴史の記憶が曖昧になっていることで、両民族は表面上は共存しているものの、真の和解には至っていません。
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個人の責任と集団の罪
『忘れられた巨人』では、個人の記憶の欠如が、過去の罪の意識を薄れさせ、責任の所在を曖昧にする様子が描かれています。霧が晴れて記憶が蘇るにしたがって、登場人物たちは過去の自分の行動と向き合わなければならなくなります。
例えば、老夫婦は旅の途中で、自分たちの過去の愛が偽りの記憶に基づいていた可能性に直面します。また、勇敢な騎士として描かれていたサクソン人の戦士ワイスタンは、過去の残虐行為を思い出し、自らの罪と向き合います。
これらの登場人物たちの苦悩は、個人が過去の集団的な暴力や抑圧に加担していた可能性、そして記憶の有無にかかわらず、その責任から逃れることはできないという厳しい現実を突きつけます。
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愛と憎しみの両義性
記憶と忘却がもたらす影響は、愛と憎しみという対照的な感情にも深く関わっています。作中では、記憶の喪失によって憎しみが薄れ、平和が保たれている側面がある一方で、愛する者たちの記憶さえも失ってしまうことで、人間関係が希薄になってしまう側面も描かれています。
アクセルとベアトリスの夫婦愛は、記憶を失った状態でも確かに存在していました。しかし、過去の記憶が蘇るにつれて、彼らの関係は変化を余儀なくされます。これは、愛と記憶が複雑に絡み合っていることを示唆しています。
一方で、サクソン人の少女とブリトン人の少年の交流は、過去の敵対関係を超えて新たな関係を築く可能性を示唆しています。しかし、霧が晴れて記憶が戻った時に、彼らの友情がどうなるかは未知数です。
このように、『忘れられた巨人』は、記憶と忘却がもたらす愛と憎しみの両義性を浮き彫りにし、読者に多くの問いを投げかけています。