イェーリングの権利のための闘争の光と影
闘争という概念の肯定的な側面
ルドルフ・フォン・イェーリングの代表作『権利のための闘争』は、権利が闘争によって獲得され、維持されるべきであるという主張において、しばしば闘争の肯定的な側面を強調しているように解釈されます。
イェーリングは、個人が自らの権利を主張し、不正や抑圧に立ち向かうことは、単に個人的な利益のためだけでなく、社会全体の正義と法の支配を実現するために不可欠であると説いています。
受動的に権利の侵害を許容することは、権利そのものを軽視し、結果として社会全体に不利益をもたらすと彼は考えました。 彼の主張は、個人の権利意識を高め、法治国家の確立を目指す上で重要な役割を果たしました。
闘争の概念が孕む負の側面
一方で、イェーリングの「闘争」という概念は、その積極的な側面とともに、いくつかの否定的な側面も孕んでいることが指摘されています。
第一に、「闘争」という表現自体が、常に争いを推奨し、対立を煽るような印象を与える可能性があります。
権利の実現には、訴訟などの法的手段だけでなく、交渉や調停など、対話と協調を重視した平和的な解決方法も存在します。 イェーリングの主張は、これらの手段の重要性を軽視し、社会全体を必要以上に闘争的なものへと導く危険性をはらんでいると批判されています。
第二に、闘争を過度に強調することは、弱者に対する配慮を欠く結果につながる可能性があります。
現実社会では、経済力や社会的地位の差などによって、権利を主張するための資源や能力に大きな格差が存在します。
イェーリングの主張は、このような現実における不平等を十分に考慮しておらず、結果として強者が弱者を抑圧することを正当化する根拠として利用される可能性も孕んでいます。