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アウグスティヌスの神の国の位置づけ

## アウグスティヌスの神の国の位置づけ

アウグスティヌスと「神の国」の執筆背景

4世紀末から5世紀初頭にかけて、キリスト教はローマ帝国内で急速に広まり、380年にはテオドシウス1世によって国教とされました。しかし、390年にはテッサロニケの虐殺、410年には西ゴットによるローマ略奪が起こり、かつての栄光を失いつつあったローマ帝国とキリスト教の未来に人々の不安が高まっていました。こうした中で、キリスト教神学者アウグスティヌスは、413年から426年にかけて「神の国」を執筆しました。

「二つの国」と「神の国」の位置づけ

「神の国」の中でアウグスティヌスは、地上における「二つの国」という概念を提示します。

* **地の国:** 現世の愛を最高原理とし、権力や物質的な欲望に支配された人間の集合体。
* **神の国:** 神への愛を最高原理とし、永遠の安息を目指す、真の信仰を持つ者の集まり。

アウグスティヌスは、この二つの国が歴史の中で混在し、せめぎ合っていると説明します。そして、「神の国」は目に見える場所や国家として存在するのではなく、真の信仰を持つ者の心の内に存在すると説きます。

歴史観と「神の国」の終末

アウグスティヌスは、「神の国」の歴史観において、歴史は神のプロビデンス(摂理)によって導かれ、最終的に「神の国」が勝利を収めるとしました。彼は、ローマ帝国の衰退を「地の国」の崩壊と捉え、真のキリスト教徒は永遠に続く「神の国」に希望を見出すべきだと主張しました。

「神の国」における政治と教会の関係

アウグスティヌスは、「神の国」と「地の国」を完全に分離することは不可能であることを認めつつも、教会は世俗の権力から独立し、霊的な指導に専念すべきだと考えました。

「神の国」の影響

「神の国」は、中世キリスト教世界に多大な影響を与え、政治思想や歴史観に大きな影響を与えました。特に、教会と国家の関係、歴史における神の役割といった問題を考える上で、重要な古典として位置づけられています。

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読書意欲が高いうちに読むと理解度が高まります。

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