## アウグスティヌスの神の国と人間
神の国と地の国
アウグスティヌスは『神の国』の中で、人間の歴史を「神の国」と「地の国」という二つの「国」の対立と展開として描きます。この二つの「国」は、目に見える形で政治や社会として存在するのではなく、人間の内に存在する二つの「愛」によって区別されます。すなわち、「神の国」は神を愛することを第一とし、「地の国」は自己愛を第一とする人々の集まりです。
人間の堕落
アウグスティヌスは、人間は本来、神によって善く造られたとしますが、自由意志によって神から離反し、罪を犯したと説きます。この「原罪」は、アダムとエバの disobedience によって人類全体に遺伝し、人間の理性や意志を弱体化させました。そのため、人間は自らの力だけで神に立ち返り、救いに至ることはできません。
神の恩寵と予定説
では、人間はどのように救われるのでしょうか。アウグスティヌスは、人間の救いは神の無償の恵み、すなわち「恩寵」によってのみもたらされると説きます。神は、ご自身の意志によって、あらかじめ救われるべき者を定めており(予定説)、選ばれた者は聖霊の働きによって信仰へと導かれ、神の恩寵にあずかることができます。
歴史における神の国
「神の国」は、この地上において、教会という形をとって姿を現します。教会は、神の恩寵によって救いに導かれた人々の集まりであり、そこでは神への愛と隣人愛が実践されます。しかし、教会は完全に「神の国」と一致するのではなく、「地の国」の要素も含まれています。真の「神の国」は、歴史の終末に訪れるものであり、そこでは、選ばれた者は永遠の幸福を享受します。